テンション↑↑画像でメンタルが強くなる
こんにちは
だるまです
先日私は
星渉さんの
神メンタル
という本を読みました
この本の感想だけでも
3本位の記事が書けそうですが
今日はその第一弾として書きたいと思います
前にもメンタルについて記事を書かせて頂きましたが
今日は「神メンタル」を読んで
実践してみて
良かったと思ったことをご紹介したいと思います
それはP96に書かれている
理想とする画像を30枚以上集める
というものです
例えば私には
叶えたい大きな夢が4つあります
一つ目は
進学実績を作りたい
私は教員をやっております
以前に記事を書きましたが
総合選抜型、学校推薦型の入試で
合格実績を出したい
これを目標に教員をやっております
二つ目は
生徒達の化学の偏差値を上げたい
私の担当教科は化学ですが
やるからには他のどの化学教員よりも
生徒たちの化学の偏差値を上げたい!!
そう思っています
三つ目は
教育雑誌に掲載され教育界に
私の名を轟かせたい
私は特別支援学校、学習塾で勤務していたとき
随分とイジメられました
私をバカにしてきた教師達を
私をイジメてきた教師達を
いつか見返してやりたい!!
この動機は不純なのかもしれません
しかし私にとって
反骨精神こそが生きる糧なのです
今まで散々イジメられてきたので
これくらいの動機はいいのではないでしょうか
神様だって許してくれるのではないでしょうか
四つ目は
ブログの力で
日本における自殺者を0にしたい
世界172カ国中
日本は18位
という自殺者数の多さです
日本では
平成15年をピークに減少傾向にあるようですが
世界172カ国中18位は
改善しなくてはいけない問題だと思います
自殺の原因・背景として
健康問題が大半を占めているようだが
勤務問題、経済・生活問題も無視できない
背景のようです
そんな現状をブログの力で改善したい!!
私はそう切に願っています
そんな大層なことできるわけないじゃん
多くの人はそう思うでしょう
そう思うのが普通だと思います
しかし
苦しい思いをしてきた私の経験と
ブログという拡散力があれば
不可能ではないのではないか・・・
私は本気でそう考えているのです
何度も
死んでしまいたい・・・
そう思ったことがある私だからこそ
本気で叶えたい夢でもあるのです
そんな私は
Google検索で
合格実績が上がっている画像
生徒達が主体的に授業に参加している画像
著名な教育者の画像
社会人達が笑顔で働いている画像
をかき集めてパワーポイントにまとめました
こんな感じです
フリー画像ではない画像もかき集めたので
ここでご紹介できるのはごく一部ですが
このような画像を30枚以上集めました
私はこれをクラウドにあげて
通勤途中や帰宅途中でも
スマホで見ることができるようにしました
画像を集めるポイントとして
まず夢を見つけることが必要だと思います
その夢についてですが
なんでも夢が叶う魔法にかけられた
とイメージすることが大切だと思います
億万長者になれる
人気俳優になれる
ノーベル化学賞受賞者になれる
などなど
己(おのれ)の欲望がなんでも叶う
という前提で画像を集めることがポイントです
もしも
お金持ちになりたければ
お金の画像、実業家として名を轟かせている方の画像を
集めればいいと思います
もしも
イケメン、美女になりたければ
イケメン俳優の画像、美人な女優の画像を
集めればいいと思います
もしも
バリバリに仕事をこなすビジネスマンになりたいのであれば
仕事を優雅にこなしている人の画像を
集めればいいと思います
Googleで検索すれば
夢に近い画像はいくらでも見つかります
人に見せるわけでもないので
著作権なども気にする必要はありません
(注)人に見せる場合は著作権を確かめる必要はあると思いますが
そしてそれを出かける前や通勤途中に見るのです
そうすると不思議と
仕事に
向き合う勇気が湧いてきます
そして毎日見ることをオススメします
それを習慣化すると
私のこの壮大な夢に比べると
今の悩みはなんて小さいんだ
と思えるようになります
ぜひお試しください
最後まで読んで頂きまして誠にありがとうございました
下のバーナーをクリックして頂けますと大変うれしいです
泥沼な人生を振り返って思うこと・・・色々な苦難がありました
こんにちは
だるまです
前回まで人生を振り返ってみましたが・・・
イジメられたりパワハラを受けたりと
苦難が多い方だったと思います
今回は
こんな苦難をどのように乗り越えたかについて
書きたいと思います
人間関係で苦しさを感じる方
仕事が辛いと感じる方は
1.数字を味方にすること
2.大きな目標を持つこと
を意識すると苦しさが軽減されると思います
過去にも同じような記事を書きましたが
1.数字を味方にすることについて
私の場合高校教師となり
生徒に実施する授業アンケートで良い数字を取る
生徒の模擬試験での偏差値を上げる
生徒の難関大学合格率を上げる
などなど
数字を味方にすることができたと思います
数字で実績を示せば
周りから攻撃されなくなりました
その点
研究所に勤めていた頃や
特別支援学校に勤めていた頃は
数字を味方にすることができなかったです
仕事の内容上
数字にすることが難しい職種でもありました
だからうまく行かなかったと思っています
2.大きな目標を持つことについて
私は現在高校教師をしていますが
学校推薦・総合型選抜で
合格実績を出したい
という目標を持っています
私が勤めている学校も
大学入試は一般受験で合格するべき!
という古い考え方の教師がいます
このような教師に一矢報いたい
学校推薦・総合型選抜こそが
本来の実力を試される大学入試
学校推薦・総合型選抜に強い生徒を育てることが
社会で活躍する人材を育てることにつながる
これらを証明したい!
そんな目標を持って仕事をしています
仕事に対して何らかの目標をもつと
ちょっとやそっとで諦められない
という気持ちになります
最後に
もう死んでしまいたい
と考えている方に
私も仕事がうまく行かず
苦しまないで死ねるなら
もう死んでしまいたい!
と思ったことが何度もありました
しかし
お願いですから
もう少し生きてください!!
止まない雨はない
なんて言葉があります
ホントに止まないのかよ?
苦難が降り続けているじゃないか!
晴れる日なんてないんじゃないか!?
そう思ってしまう気持ちはよく分かります
私もそうでした
しかし
雨は本当に止むんです!!
仕事が苦しい状況にある方は
この苦しさの出口が見えないから辛いと思います
苦しかったら
辞めてしまえばいいんです
銀の匙に登場する校長先生だって言っています
逃げることは恥じゃないです
逃げずに自殺してしまうのは
あまりにもご自身を犠牲にしすぎていると思います
この世の中で一番大切なのは
あなたの命です!!
私なんて8回も転職しました
いわゆる8回も逃げたんです
何回逃げてもいいと思います
私の経験上
一年以上雨が降り続けたことはないです
どんなに苦しくても
一年以内には雨が止みます
私のブログを読んで頂き生きる勇気が湧いてきた方がいらっしゃったら
泣くほど嬉しいです!!
最後まで読んで頂きまして
誠にありがとうございました
下のバーナーをクリックして頂けますと
大変有り難いです
泥沼な人生を振り返る・・・これを読んで勇気が出て貰えれば幸いです(再び高校教師編)
こんにちは
だるまです
前回まで高校教師やったり塾講師やったりといった内容を書きました
今回は
根性がなくて塾講師を辞めて
また高校教師に戻った頃について書きたいと思います
塾講師を辞めてしばらくニートになろうと思ったのですが
ちょうどタイミングよく教育委員会から
高校の常勤講師の空きがあるからやってみないか
という連絡が入りました
そのときは
もう先生なんて辞めようと思っていたので
断ろうと思っていたのですが
塾講師を辞めて預金残高がどんどん少なくなり
経済的に焦りを感じていたのでやることにしました
以前高校教師をやっていた時は非常勤講師でした
授業さえこなせばよかったのです
しかし今回は常勤講師です
部活や副担任などやらなくてはいけません
面倒だな
と思っていたのですが引き受けてしまったので仕方がありません
しかもその高校はまたしても
地域で一番学力が低い底辺校
また一年で辞める気でした
しかし
塾講師の頃に厳しい授業練習を行っていたせいか
「授業がわかりやすい!」
「化学は難しいイメージだったけど
面白くなてきた!」
などと生徒から言われるようになりました
部活は陸上部の副顧問
運動は苦手な方ですが
生徒と一緒に走ったり砲丸を投げたりしました
副顧問が生徒に全然かなわないという
情けない状況でしたが
しかし生徒と一緒に練習することにより
生徒と打ち解けてきました
そんな生徒のひたむきな姿勢に気持ちが揺れていたのも事実です
中には反抗的な生徒も勿論いましたが
大半の生徒と仲良くできたと思います
やっぱり高校教師になろう・・・
そう覚悟を決め正規の教師になるための登竜門
教員採用試験
を受験することにしました
しかし公立高校は
やはり教育困難校に赴任したらやっていく自信がない
ということで中位の学力の
私立学校の採用試験を
受験することにしました
しかしその年は複数の私立学校の採用試験を受けましたが
全て不合格でした
翌年また別の公立高校で常勤講師をやることになりました
その年は仕事をやりながら真剣に勉強しました
もしこのブログを読んでいる方の中で
高校の化学の教員を目指しているというコアな方がいらっしゃったら
実践アクセスという問題集が非常に良かったです
これ一冊完璧にこなせば教員採用試験の専門科目は合格点が取れます
そうしたら
とある私立高校の
採用試験に合格することができました
次の年から
私立高校の教諭として働くこととなりました
そして初年度から
いきなり学級担任をやることになりました
かなりのプレッシャーでした
高校2年生のクラスでしたが
最初は生徒とも距離が離れていたと思います
しかし周りの先生方の助けもあり
少しずつ距離が縮まってきたと思いました
また
塾講師時代の授業練習が
ここでも生きていたと思います
この高校は生徒に授業アンケートを厳密に点数化する学校でしたが
私は分かりやすい授業、楽しい授業ということで
常に上位をキープすることができました
そしてそのまま高校3年生の学級担任に繰り上がりましたが
ここで大きな試練がありました
それは受験指導
生まれてはじめて受験指導なるものをやることになりました
その学校は推薦入試やAO入試(今は総合型選抜という名に変わりましたが)
で生徒の実力以上の大学に入学させるような学校でした
当時の教務主任の先生から
推薦書の書き方などの指導を受けましたが
その指導がまた厳しかったです
「この文章は全然具体性がない!」
「生徒の良さが伝わらない!」
などなど
書いてはやり直し!書いてはやり直し!
の日々でした
また生徒にも
志望理由書の指導もしなくてないけない
面接練習もしないといけない
非常に時間がなく大変でした
しかし
教務主任の指導は無駄では無かったです
推薦書の書き方の指導を受けたことにより
生徒への志望理由書の指導、
面接の指導に還元することができました
その甲斐もあり
クラス28名中
21人もの生徒が難関と呼ばれる大学に
合格しました
これは奇跡的な数字でした
私は当初は推薦入試やAO入試は
なんだかズルい入試のように感じていました
大学は一般入試で合格すべきものという先入観がありました
しかし
この受験指導を通じ
その先入観がガラリと変わりました
テストで点数をとる能力は
もちろん社会にでてから生きる力になると思います
しかしそれだけで本当に
社会を生き抜くことができるのか?
やはり学力以外にも
高校時代に何に努力してどんな成果を得たかをアピールする力
大学で何を学びたいか?そして将来はどんな仕事をしたいのかなど
将来のビジョンを描く力
このような総合的な力がこれからの社会で必要になると思うようになりました
私は推薦入試、AO入試こそ
これからの社会に必要な人材を育てるのに
ふさわしい入試
だと考えるようになりました
高校教育では
一般入試に強い生徒を育てるのではなく
推薦入試、AO入試に強い生徒を育てるべきだ
という考えに変わっていきました
こんな感じで高校教師を続け現在に至っています
転退職を8回も経験し
新社会人の頃は同じ職場に一年以上続いたことはなかったのですが
この高校教師はもう10年くらい続けています
私のような情けない人生を読んで
元気や勇気が湧いてきたら嬉しい限りです
次のブログで人生を振り返るのは最後になります
最後まで読んで頂きまして誠にありがとうございました
下のバーナーをクリックして頂けますと大変ありがたいです!!
泥沼な人生を振り返る・・・これを読んで勇気がでて貰えれば幸いです(塾講師の頃編)
こんにちは
だるまです
前回は高校教師になりたての頃の記事を書かせて頂きました
今回は塾講師をやっていた頃の話を書かせて頂きます
塾講師は
高校教師と比べればラクだろう
そんな甘い希望をもっていました
しかし・・・
全然ラクではなかったです
入社するなりいきなり
3日間の合宿が始まりました
最初に行ったことは
大きな声を出せなければ子供達に伝わらない!!
ということで
海に向かって
「私は〇〇と申します!!よろしくお願いします!!」
と叫ばされました
声が小さいと
「もっとデカい声だせるだろ!!」
と後ろから怒号が飛んできました
とにかく大声を出すことを強要された3日間でした
合宿が終わったら授業の研修が始まりました
「高校教師のプライドなんて捨ててしまえ!!」
とのセリフを何度も言われました
別にそんなプライドなんて持ってるつもりはなかったのですが
言われ続けていました
また
授業は自分のやりたいようにやらせてもらえません
先輩の授業を完全コピーすることを
命じられました
黒板の書き方
話し方
歩き方
などなど
オリジナリティーを出すことが許されませんでした
学習塾の生徒は中学生です
高校生とは違い幼さを感じていました
自分は中学生とあまり相性が良くない
自分は高校化学は得意だが中学理科はあまり得意じゃない
これをはっきりと自覚してしまいました
いざ中学生の前で授業してみても
中学生にあまり好かれず授業も分かりづらい
との苦情が殺到していました
学習塾では生徒による授業アンケートを頻繁に行います
私は毎回低い点数でした
私だけ始業前に
理科で一番偉い上司と付きっきりで
授業練習をさせられていました
私に付き合って授業練習をして頂いた上司には感謝しなくてはいけませんが
これがかなり厳しかったです
「そんな説明じゃ分かりづらいだろ!!」
「黒板の字が汚い!!」
こちらも真剣なので真顔で練習に挑みます
「笑顔を忘れるな!そんなんじゃ生徒も
授業がつまらなくなるだろ!」
こんな状況じゃ笑えないよ・・・
内心そう思いましたが必死で笑顔をつくりました
そんな練習の様子をICレコーダーにとっておき
仕事が終わった後
遅い時間に自宅で聞き直して
自宅でも練習するのです
必死で努力をしていましたが
ブロック主任という担当エリアの主任をしている上司と
非常に馬が合わなかったです
その上司はかなり
パワハラ気質の上司でした
何かに付けて怒鳴り散らす上司です
生徒と一緒になって私をバカにしてきました
それでいて若い女性の講師にはメチャメチャ甘い
さらに給料は驚くほど安かったです
ボーナスは年間で5万円ほどでした
普通の会社は給料の1.5ヶ月分とが出るのでしょうが
年間で5万円です
・寝る時間がない
・休日がない
・怒鳴り散らす上司がいる
・給料は少ない
思いっきりブラック企業だなと思いました
根性がない私は一年で退職し
そしてまた高校教師に戻りました
しかし塾講師の経験は苦しかったが
プラスの面もありました
上司とやった授業練習は
確実に授業のスキルを
上げることができました
この後高校教師に戻るのですが
この授業練習を
生かすことができたのです
次回は高校教師に戻った後の話をさせて頂きたいと思います
最後まで読んで頂きましてありがとうございました
下のバーナーをクリックして頂けますと非常に有り難いです
泥沼な人生を振り返る・・・これを読んで勇気がでて貰えれば幸いです(高校教師なりたて編)
こんにちは
だるまです
先日は特別支援学校で働いていたときを振り返させて頂きました
今回は
高校教師になりたての頃
を振り返させて頂きます
前回書かせて頂いた通り
私は特別支援学校から
逃げるように高校教師になりました
決して高校教師になりたかったわけではなかったのです
教育実習は楽しかったけど
高校教師なんて大変そうだし
やっても一年で辞めようと思っていました
配属されたのは地域でも一番下の学力の公立高校
生徒達は大人しく授業を受けることが難しい学校でした
私の専門は化学ですが
なぜか生物を教えることになりました
私は高校生なんてあまり好きじゃない
モチベーションは低いまま高校教師になってしまいました
私は授業をやりたくない
生徒達は授業なんて受けたくない
こんな状態で授業なんてうまくいくはずがない
授業は毎回崩壊状態でした
あの教員(私のこと)は
生徒を指導する気があるのか!?
職員会議で話題になっていたそうです
非常勤講師が職員会議の話題になるなんて
なかなか無いことなんです
しかしこんな状態でも1年間やり通しました
よく1年間頑張った
もう学校の先生なんて辞めよう
そんな風に思い
開放感にあふれていました
しかし・・・
校長先生から
「来年度はH高校で非常勤やってもらうから」
と、私の意思に関係なく
次の学校の非常勤講師を見つけて来てしまったのです
マジかよ・・・
と思いましたが
非常勤講師をもう一年やることになりました
しかし次の学校は
平均よりやや下の学力の学校でしたが
前の学校と比べて落ち着いていました
しかも担当教科は化学でした
化学の授業をやっているときも
実験の授業を行っているときも
そんなに悪い気はしませんでした
やっぱり自分は化学が好きだ
そう思いました
また授業を行うコツみたいなものが分かってきて
高校教師も悪くないかな
なんて思ったりもしました
次年度も非常勤の高校教師を続けるべきか・・・
悩みました
しかし
高校教師になる勇気がなかったです
また荒れている学校に配属になったら
続けていく自信がなかったのです
そう思い次年度は
塾講師に転身することにしました
しかし
この決断が
新たな苦悩を生むことになるとは
このとき思っていなかったのです
次回は塾講師をやっていた頃について書かさせて頂きます
最後まで読んで頂きまして誠にありがとうございました
下のバーナーをクリックして頂けますとメチャクチャ嬉しいです
泥沼な人生を振り返る・・・これを読んで勇気がでて貰えれば幸いです(特別支援学校で働いていたとき編)
こんにちは
だるまです
先日はニート・フリーターの頃を振り返りましたが
今回は特別支援学校で働いていた頃を振り返させて頂きます
前回お話しましたが
ラクそうだ
というイメージだけで
特別支援学校で働くことにしました
はじめの数ヶ月は非常勤で働いていたので
フルタイムではなかったです
スクールバスの添乗員をやっていたり
お便りをパソコン打ちしたりと
まあ気楽に働いていました
たまに子どもたちが話しかけてくれて
楽しく仕事をしていました
しかし
1ヶ月ほど経つと
初等部(小学校)の先生が産休に入り
その代打としてフルタイムで働くようになりました
そこからが大変でした
私が働いた特別支援学校だけの話かもしれませんが
初等部には
お局様のような存在の先生が
強い権力を握っていました
そのような先生は
弱そうな先生を見つけると
容赦のない攻撃をしています
私は格好の標的でした
行事のときに段取りを間違えたのが引き金だったと思います
そこから容赦の無い攻撃が始まりました
教職員はイジメなんてしないと思い込んでいましたが
職員室でのイジメはあるんです!!
やがて3月となり
次年度の人事を決める時期となりました
私は比較的男性が多い高等部、中等部を希望していましたが
初等部の配属となってしまいました
意地の悪いお局様がながした噂は
初等部中に広がっています
・少しのミスでもイジメられる
・子どもを指導しても「あなたがしっかりしていないから」と言われる
・子どもと遊んでいてもサボっていると言われる
もう八方塞がりな状態でした
まるで害虫でも見るかのような扱いでした
小学・中学時代がいじめられっ子ならば
・社会人になってもいじめられっ子なのか?
・私は人からイジメられる資質のようなものがあるのか?
・人は私を見るとイジメたくなるのか?
・私はイジメという呪縛から逃れることができないのか?
私はそのようなことを考えていました
それでも1年間は耐え続けました
耐えられた要因として
1年耐えれば学年が変わることと
なんだかんだ言って
子ども達は可愛かった
これだったと思います
その翌年から特別支援学校は辞め
逃げるように
高校の非常勤講師になりました
次回は高校教師になった頃について書きたいと思います
最後まで読んで頂きましてありがとうございました
下のバーナーをクリックして頂けますと非常にありがたいです!!